言い切ってしまえば、私は「難治性うつ病」を患い、発症から現在にかけて症状が寛解したことは一切ありません。私は今でも「生きるのが苦しい」状態であり、「無価値で社会的貢献を果たせない自分など早く死ぬべきである」と考えております。
いつ発症したのか分かりません。覚えていることは、2008年9月16日より大学近辺に引越し、最初の一ヶ月は順調に進んでいたことです。しかし10月に入ると頭痛・肩こり・微熱といった「風邪」の諸症状が数週間おさまらなくなりました。それでも大学に通い続けていた僕は、10月22日夜の睡眠中、これまで味わったことのないような不安感に襲われて目を覚ましました。時刻は3時頃だったかと思います。その日はそれ以降眠ることができず、その週は慢性的に同じような症状が決まって夜中に起きるようになりました。
致命的になったのが、25日夜明大前マクドナルドで読書をしていたところ突然不安や動悸に襲われ倒れこんでしまったことです。マクドナルドの目の前にある交番までなんとか歩き、交番で事情を説明し、パトカーで自宅に送っていただいただきました。その翌日、近所にある精神科・心療内科のうち予約なしで入れるところを片っ端から探し、ある精神科で薬を処方されました。また同日、大学保健センター精神科に予約を入れました。不思議なことにこのような症状はそれ以来出ることがなくなりました。
大学の保健センターでは、まずカウンセラーが初期診断を行われます。僕はそこで事の経緯を説明し、「生きているのが苦しい(常に緊張感・不安感を伴うというのはそういうことである)」ことを切実に語りました。するとすぐに医師が現れ、前に処方された薬に加えていわゆる「三環系」の抗うつ薬を処方されました。しかし不安感は消える気配がなく、その翌週には起きてから寝るまで常に生じている不安感・緊張感が吐き気がするほど高まってしまい、身動きが取れる状態ではなくなってしまった。この時点で医師は(なぜか)抗うつ薬の投薬を終了し、統合失調症に用いられる抗精神薬だけを処方されるだけになりました。しかし根本的な「何か」が断たれていない以上、どの薬を飲んでも頭がぼんやりとするだけで、不安と緊張という「二つの亡霊」が消えるわけではありませんでした。彼らはむしろ僕の中でどんどんと肥大化していき、11月中旬の段階ではそれに加えて抑うつ感・絶望感・意欲等の低下並びに自殺念慮が出始め、一日中布団の中で、自分が眠っているのかすらも分からない状態となってしまいました。僕は最後に残された理性と、アドバイスをいただいた方々の「医師を変えろ」との意見に従って保健センターを後にし、現在も通い続けているクリニックへ移りました。このころはもう1月になっていたと思います。僕は12月の間、ほとんどずっとベッドの中で死体の如く過ごしておりました。何かしたいことがあっても、何もすることができない。周りは次々と知識を蓄え、学術を得ていくのに、自分はそれとは真反対の方向へ向かっている。そのような「悲観の連鎖」は僕をどんどんと螺旋状に「うつ病の底」へと押しやっていきました。アニメを見ることができなくなり、マンガが読めなくなり、哲学書は文字を見ただけで吐き気がする。さらに薬の副作用で眼圧が高まった結果液晶画面や明るい場所を見ることが出来なくなりました。それまで出来ていた全てが出来なくなり、一時間前に行なったことすら覚えていられなくなりました。そういう状態になり、かつそれを客観視している自分が存在している、ということが果てしなく無意味なことに思え、その時、僕はすでに思考できる主体ではなくなっていたのです。何のインプットもアウトプットもできない、廃人同様の状態です。これによって、「生きることそのものがまず苦しい」「私は死ななければならない」という希死念慮が不安感・緊張感に変わるようになりました。
(http://d.hatena.ne.jp/thir/20090501/p1)
2 years ago • 0 notesWonderful World
世界がまた回り始めた。 ゆっくりではあるが、確かに動いている。
忘却と新生はワンセットだ。 忘れたところに新しいものは生まれ、新しいものの誕生するところには、忘却がある。
希望を失ってはいけない。 生きてれば必ずいいことはある。だから、死ぬな。
今、僕の中に新しいものが生まれようとしている。これでいいのだ。これが俺の望んだ、ことなんだ。
なんてすばらしい世界なんだろう。 世界は回る。
2 years ago • 0 notes






